9月10日ラジオ【ライブについて語る】

テーマ【あなたにとってライブとは】
録音。放送日は宮城ライブ初日。

■サザン初期のライブ【Further on up the Road】について

「俺23歳くらいかなこれうん。そうこの頃ねFurther on up the Roadってあれですよ、当時クラプトンがカバーしてたブルースの曲のタイトルをねそのままロードってお尻についてるから、そのまま使っただけで、安直だなぁ。うーん、最初のサザンのツアーは春50番っていうんですよね、それはたしかだれか、うちのマネージャーかなんかが考えたんですよ、あのなんかそのキャンディーズを彷彿とさせるでしょ。うちの当時の社長がキャンディーズのマネージャーやってたから、もうわけわかんないんですよ、どっからなにをもってくるとか。俺なんかライブとかツアーにタイトルがあるのを知らない時ですから、マネージャーが考えたの。このFurther on up the Roadは俺が考えたから、ちょっとあれでしょ、なんかいまいちよくわからないでしょ。」

■私にとってライブとはセックスと同じです。という投稿に対して

「僕も同感ですね。終わると虚しい感じもするもんね、なんかね。なんかあの情事ね、秘め事そのもののね生々しさが時間が経つと薄らいできて、なんか段々不安になってくるような気にさえなるっていうのは、儚さという、切なさというね。あたしね、こういっちゃうとあれなんですけどね、ライブってのはね、思いだしてみると、あぁあれがほんとに楽しかったなぁというような記憶があんまないんですよ。あのライブはもう今思っただけでもう楽しいなぁ、笑顔がこぼれちゃうなぁっていうのがほとんどないですね。それくらいパッケージとしてのライブっていうのがね、なんだろ自分で記憶にとどめるのが怖いんですかね。だからその儚いもんだって自分で思っちゃってるんでしょうねぇ、えぇ。終わってしまったライブそのものについて語るにたらないというか、そういう風におもっちゃてるんだねぇ。俺もちょっと不幸なとこがあるなぁ。」

■忘れられないライブについて(リスナーが95年のシンディー・ローパーのライブについて投稿)

「でもいいですよね、外タレ、シンディ・ローパー。なまじ言葉が通じないもどかしさみたいのあるじゃん。僕なんか、もちろん経験ありますけど、日本人オーディエンスと外国人アーティストの間になにかこぉー、えもしれぬような愛と感動が芽生えるようなね、絆が繋がりが芽生えるってありますよね。僕もね76年。武道館で見たバッド・カンパニー。バッド・カンパニーって元フリーのポール・ロジャースって人がいて、今でも凄いんです、この人は。バッド・カンパニーのステージみてね、なにか涙が止まらなかった、その思い出、二階席の端っこから見てたんですけどね。なんか感動しちゃってね、そういう音楽じゃないんですよ、バッド・カンパニーってハードロックなんですけどね。だけど、なんだろポール・ロジャースのひととなりを見たような、エネルギーやモチベーションを垣間見たようなね、それからほら、その頃の俺自身とかさ、なんか夢があったり不安があったりとか、そういったものが一気に心の底からね、つき上げてくるような、なんか(うわうわ泣くマネ)って思っちゃったことがある。うーん。」

■本当は怖い愛とロマンス

・この曲は宮城ライブでやりま・・・

■春50番コンサートの宮城県民会館であまりにも時間がおしたせいか、途中で幕が降りてしまい、幕の前に出てきてメンバーがアカペラでいとしのエリーを歌ったハプニングについて投稿

「憶えてる。あったよこれ、あれは宮城だったのこれ?もう全然俺それがわからなかったんだけど、あれ宮城だったんですか。宮城県民会館ねぇ、うーん。大体あの頃六時半ぐらいに始まってコンサートね、9時に大体終われっていわれるんだよね。9時2,3分過ぎても我慢するけど、それ以降は知らないよ、電源落とすよっていわれたんだよよく。それはしょうがない、会館の人だってうちかえるわけですからね。で79年でしょ。いとしのエリーだから。あの頃まぁねぇ、なんだか忙しかったねサザンもね。売れてたね。売れてると忙しいからまた、なんかいろんな思い出に残るハプニングっていうのがあるんだよね。あなたもあそこにいたの、ねぇ、すごいなぁ、ありがとね。」

■ボブ・マーリーについて

「ボブ・マーリーを嫌いな人ってこれ、まずいないんじゃない?んなぁことぁないだろうけど、うーん。ボブ・マーリー嫌いなやつはいないだろ、ね、テルさんねぇ。うた、あの歌。歌唱力があって、曲はねヒットチューン。もう曲はいい。よく見るとボブ・マーリーってハンサムなんだ、あれ。ねぇ。ハーフ?うんハーフあそう。俺は残念ながらハーフじゃないんだよねぇ。残念だよねぇ。ハーフいいね。ね、バンドがまたねウェイラーズ。ウェイラーズまたすごいうまいの。あれ場数踏んでるんでしょうけどね。俺ほんとに煮詰まったときはねぇボブ・マーリー聴くの。ボブ・マーリー垂れ流しか、あのローリン・ヒルもう聴いてますよ。もうほんと煮詰まるとね、エリック・クラプトンとかね、なんか自分の、私のその人生こぉーほんとファンでね、オーバーラップさせて、ファンになって一緒にクラプトーンって言ってきたような人の音楽聴くとつらくなるの。なんだかわかんないから。ボブ・マーリーも好きだけど。ボブ・マーリーのなにかその魂に響くものね、うーん。」

■ひとり紅白について

「ありがとう。そう。そういってもらうと僕は凄い嬉しいな。ひとり紅白ね、昭和83年度とかいうやつでアクトアゲインストエイズでやったやつなんですけどね、3年前かな。あのね私が唯一自分のDVDでね、自分で見ようかな家でって思えるのがあのひとり紅白なんですよ。ごめんなさいね、せっかくファンの方でいろんなDVDとかね、買ってくれた方に申し訳ないけど。本人っていうのはね、意外と見るのが嫌なんですよ。うーん。自分で出た番組とかも最近絶対見ないの。恐ろしくて。いろんなアラがみえちゃったりね。うん。こんなつもりじゃねーんだよみたいなことをね。脂汗かいちゃう。でもひとり紅白は見るの俺。一番好きなライブです。なにが一番楽しいライブかっていうとね、うん、この方がいうとおり、自分のDNAを誇れるライブっていうのかな、仕事としても、これをおいて他ないですね。ほんと五本の指に33年デビューしてきてね、五本の指に入る仕事ですね。うん。楽しいからね、自分自身も。ほんとお客さんとなんか喜びを共有できてるっていうか、だからまさにもうセックスしてるっていってもいい。お客さんと音楽とね。それからあのとにかくあのDVDは私の人生のトップだと思ってますね。うーん。なんか日本人なんですよ。幸せなんですよね。

■【はらばん】原由子19年ぶりのソロライブについて

「あれもよかった。あれはよかったねぇ。やっぱあのぉ、原坊がんばったしねぇ。19年ぶりって、もっと細かくやれよお前っていいたくなるんだけど、メンバーも斉藤誠くんとか片山敦夫くんとか素晴らしいメンバーで。みんなカバーしてバックアップしてくれて、原さんをねぇ。たった一日しかないっていうのは、なんともったない仕事だ。私怒ったねぇ。なんだよ一日ってのは。ほんとに。鎌倉のね、大船っていうのかな。元松竹撮影所がありました、ねっテルさんもね。そこにある会場。あれ雰囲気凄くいいところですもんねアレ。私もあの会場でやりたいな近いうちに。あれが7月4日だっていうんです。去年の7月4日。で、あたし病気が発覚したのが7月12日なんですけど、えーと先日ね、鎌倉のお好み焼き屋に行きましたらね、いきつけの。あの私が生涯、最後に飲んだ二階堂っていう焼酎のボトルキープが置いてあってね。それが7月6日って書いてあったんですよ。7月7日から俺あの発覚に至る人間ドッグのために、人間ドッグのために酒やめるって事自体のが一番いけないでしょうけど。酒やめてますからね。二階堂。7月6日桑田様って書いてある。思わず写メとっちゃいまいた。えーまたやらしてあげてください。原さんに。お願いします。」

■夢人島ライブについて

「あれホント楽しかったよねぇ。2006年か。5年前。(福山雅冶の時の音声アクシデントについて)ね、可哀想にね。なんか途中うん。音が切れちゃった。まぁあーいう事があるから面白いんだよね、フェスはね。うん。福山は俺が電源引っこ抜いたとおもってるんだよ。いまだに。冗談じゃないよ。お前w。しかもね、おれホントに、リハの時にね、あのマイクでね「福山ぁー俺途中で電源切るぞ」とかいったのよ。」そしたらホントに落ちたのよ。そしたら、俺が横で立ってる俺のことを睨んだ睨んだ。うん。「ちがう、ちがう、ちがう。」と一生懸命首ふってたんだけどねぇ、あいつはあの瞬間、殺してやろうとおもったろオレのこと。ビギンってのは素晴らしいバンドだなってあのとき思った。私あの時、加山船長から多くのことを学びましたねぇ。一緒にリハーサルさせてもらってね。選曲とかアレンジとか僕にまかせてやらせていただいたけど、選曲は全部シングル盤。加山さんの。それだけでもありがたいけど、あの方の器はでかいやね。人としてね。アーティストとして。頭いいし、ハートは熱いし優しいし、愛が凄いしね。ちょっと女の子好きねw。リズムはいいし、うた。あの発声の仕方僕勉強させてもらった、あの人のそばに一週間いて。あのなんかこぉー、フランク・シナトラというか、あの人の発声はホントに人外っぽくて素敵でしたよ。ねぇ。一番よくなかったのはトリのサザンです。サザンだって自負してますアレ。長くやりすぎ。自分でやってて嫌になっちゃったもん。だから空気読まなすぎなんだよね。人のことやってて自分のこと忘れちゃうんだよねぇ。ほんとにどうしようもないです。」

■ハダカDE音頭

■山下達郎のライブを見に行って最前列のお客がオペラグラスでみていた事をやりにくいと注意したことに関連して

ライブってのはなにか予期せぬ事が起きる。お客にとってもね、アーティストにとってもね。それが見れたりするから最高なんだよね。

■宮城ライブについて

「ねぇー、メッセージみたいなことは特にないんですよ。ほんと普段通りの事やるだけなんですが、なにか俺もねぇ、正直言って最近、半年たったでしょ、でねぇ、なんか震災当初のような、なんかこぉー、なんですか、被災地に対してとか、被災された方々に対してお役にたてるべくね、なにか自分としてこぉー、うーん、一体できることはなんなんだろうかと悩むようなみたいな意識が、なんだかちょっとここへきて、薄らいできたような気が僕はするんですよ、自分はね。具体的にどういう行動をとろうかみたいなねという意識というか精神がね、うーん。だからこそ、そういうのを風化させちゃいけないわけでね。自分がよ。うーん。だからそういったことをなんか確認する為にも、自分でそういう意味で、今、仙台ライブできるのはよかったなぁというか、うん。ホント大事でよかったことだなぁと思ってますよ。」

■アコースティックライブ in 石垣島について

・あんなライブをやらせていただいて感謝以外にない、ほんとに幸せななこと、音楽活動をさせていただいた。

■古賀紅太の奈良ライブでのハプニングについて

「あーまた、水撒いちゃったのよ。小さな縦長のハコで。ライブハウスん中で。あれ2002年ですよね。コカ・コーラからきたんです。命名がイージーですね。古賀紅太って。メンバーが小倉博和君でしょ、それから金原千恵子さん、琢磨仁さんベース弾いて、それと俺だっけなぁ。ライブハウスまわりしたんですよぉ。九州の佐賀とか色々行きまして。奈良の古いライブハウスで天井が低くてさぁ、天井が低いもんだから、最後コップでやるのめんどくさくなって、バケツもってこさせて、もう天井に向かって撒いてたら、天井に色々線はってんだね。うーん。照明とかいっぱいつってあるじゃないですか。それでもうライブ中、まぁ漏電ですよ。んで、懐中電灯と拡声器で歌った(いとしのエリー)ってのは私も生まれて初めてです。私も。うん。でも思い出に残ってますね。あそこのスタッフのみなさんにはほんとご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございませんでした。」

■Let’s try again

■宮城ライブ一曲目のコード

・B♭っていっただけじゃ絶対あたんないと思う。
・ライブみた人いっちゃだめよ。twitterとかだめよそういうの。2ちゃんねるとかよくわかんないけど。

■渚園について

「初日はねぇ、今だから言いますけど、私、二日酔いだったんですよ。歌ってておぉ気持ちわりぃとか思いながら、炎天下の中歌ってたんですけどねぇ、初日の、バカですね。初日の朝までねぇ、スタッフと部屋で飲んでたの。うん。若かったんですね。まぁ仕事の話かなんかしてたんでしょうけど。もう夜が明けてましたけど。その日コンサートですよ。二日間連続で。バカです。愚かで、今思うと、お客さんに対してこれほど、誠実じゃないアーティストはいないですよね。うん。酒なんかいくら飲んでも平気だいくらいという若さもあったんですけど、もうしません。できません。ごめんなさい。」

■今までで一番心の底から凄いと思ったライブについて

「コンサートってのはさぁ、道すがらもいいですもんねぇアノ、生き帰りっての。僕なんかもよく学生時代、武道館行きましたけども、外タレ見に。誰といったとか、そういうねぇ、帰りどこで何食ったとか、そういうアクセスがねぇ、あの会場に行くためのアクセスがどうだとかね、うーん。そのひとつひとつがいいんですよね、ライブの周辺がねぇ。なんか、とにかくその日の出来事とか、なんか天気とか、人生模様をやたら憶えてるもんねぇ。俺ねぇ、今までで一番見て、ほんとに心の底から凄いと思ったライブねぇ、テルさんあのねぇ、前もいったかもしれないけど、あのバブル真っ只中ですよ、バブル。うん多分。90年くらいだと思うんですが、青山スパイラルホールってまだありますでしょ。あそこで見たネビルブラザーズ。みた?テルさんみてない?あっそうですか、ちがう場所で見たテルさんは。あのネビルブラザーズというバンドは、僕あんなファンキーなグループだと思わなかったんですよ。ところがもうリトルフィートより凄いくらいね、リトルフィートより凄いは別にいいんですけど。狭い空間でね、あまりにも感動したんです。うまくてかっこよくて、ええ、んで狭い空間ってのもよかったんですけど、ぎゅうぎゅう詰めでね。楽屋まで会いに行っちゃって、あまりに興奮したんで。えぇ、せまぁーい楽屋にみんなメンバー、ネビルが6人ぐらい集まってるんですけどね、うーん。それでまぁ、冬だったかな、外に出るとみんな興奮しててね、ひさしぶりに会う友達なんかが、おうクワタなんてつってねぇ、やっぱりきてたんだぁなんつってさぁ、ちょっと南部の泥臭いグループですよ。うーん。ほんであのボガンボスってグループがいたんです。80年代に、日本のねロックで、その亡くなったどんとくんというのがね、僕の隣ですごいのってましたニコニコしながら、うーん。いいひとでね。うん。」

■さのさのさについて

「何年だっけ、94年か。僕もねぇ、ほんと忘れられないパッケージですねぇ。このさのさのさってのは。おふくろが死んだんですねぇ、僕の。んでねぇ、94年ねぇ、その時に月という曲が出来た。であの孤独の太陽というアルバムが出来た。でなんか、いろんな時代背景もあるんですけど、私も37,8でねぇ、立派な中年ですけど、なんか充実していたんだなぁ。なにかこぉ、怖いものなかったんだなぁあんまりなぁ。今みたいにパソコンとか携帯も、もちろんないでしょう、んでねぇ、パソコン、携帯関係ないけど、あのヨイトマケの唄ってのを美輪明宏さんが歌ってね、ヨイトマケの唄を取り上げたんですよ。たしか。曲数もなかったから、オリジナルが。まだ。うーん。んでまぁ、とにかくなんていうかなぁモラトリアムといいますか、こぉ精神的には、なんか充実してたけど、ぽっかり心に穴が開いているような、燃えてるような、なんかでもちょっとさびしいようなね、おふくろが亡くなったってのもあるけど、でもほんと人生の中でねぇ重要な位置づけにくるライブだと思います。

■夢のライブについて

「よくほら、いろんなミュージシャンとかがさぁ、狭いライブハウスみたいな空間でやりたいっていうじゃないですか、よく。その気持ちがよく僕も最近わかってねぇ。なんか自分もこぉ、自分の好きな歌だけをね、10人ぐらいのお客さんを前にしてね、普段と同じこうしているテンションでね、なんかテンションとか間合いでね、やるってのは夢でもあるんですけどね。なんかそういうのはすごく矛盾をはらんでるんだけどね。うーん。矛盾があるんです。そこには。お金はいただけないし、えぇ、うーん。プロではなくなってしまうわけなんですけどもね。うーん。でもそういうのちょっとやってみたいなっていう夢はありますけども。

■明日へマーチ

■古の風吹く杜

「意外な事を言ってウケようと思うわけじゃないんですけどもぉ、あの本質的にはねぇあのライブをやることそのものは、あんまり得意じゃないと思ってるのね。なんか向いてないとおもってんの。ほんとに。うーん。まぁそれは、どなたもいろんなお仕事されるかた、いろんな葛藤が裏ではあるとおもうんですけどねぇ、だけどなんか33年間ねぇやってきて、まがりなりにも。なんか僕なりにお客さんをなんかくすぐるのはちょっと好きなんですよ。お客さんのなんかをくすぐるのがねぇ。うーん。まぁとにかくあの楽しい事やって、自分の夢が叶ってねぇ、こういう仕事やってんだから、俺は幸せで悩み事なんかないよぉーって、どっかでいったことあるけどねぇ、それはちょっと無理しててねぇ、まぁそれは誰でもそうでしょうけどもね。まぁおかげさまで幸せの上にあぐらをかかせてやらせていただいておりますけども。」

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