月別アーカイブ: 2015年6月

6月13日ラジオ

代行DJ 岸谷五朗
心に残る名歌詞・名フレーズSASソングリクエスト

ミス・ブランニュー・デイ/サザンオールスターズ

はっぴいえんど/サザンオールスターズ

素顔で踊らせて/サザンオールスターズ

平和の鐘が鳴る/サザンオールスターズ

みんなのうた/サザンオールスターズ

岸谷五朗リクエスト
現代東京奇譚/桑田佳祐

ワイングラスに消えた恋/サザンオールスターズ

蛍/サザンオールスターズ

6月6日ラジオ

シャララカンパニー夜遊びの大ボス佐藤輝夫さん6月6日で66歳。6並びバースデイ記念
デビルソング特集。

あなたの周りの悪魔・小悪魔エピソード

プロフィール
・1949年6月6日神戸生まれ※高垣さんと一緒。
・父が宝塚関係の仕事をしていたので名づけ親は越路吹雪さん。
・生まれてすぐ東京渋谷に移り住む。
・代官山教会の幼稚園。
・日本大学芸術学部放送学科に入学。
・学園闘争が起こり、ノンポリの佐藤輝夫は暇を持て余しバンド活動に没頭。
・バンド活動を通じて知り合った三保敬太郎さんとの縁でラジオのバイトの仕事を始めた。
・日本大学芸術学部在学中に東京FMが開局。FM番組のディレクターもどきになった。
・卒業後フリーランスでディレクターとしてラジオ各局に従事。
・音楽マニアでなんでもしっている。
・事務所代わりにしていた渋谷のリハーサルスタジオ・マックスタジオにてデビューしたてのサザンオールスターズと遭遇。桑田と会う。

じゅげむ/ガンバ一座
・1974年に輝夫さんがフリーランスになられて、音楽プロデュースの仕事、アレンジ等々始めた時に当時オールナイトニッポンのDJだった及川伸一さんと組んだユニット。
・素晴らしい演奏。
・バックの演奏は深町栄さん。クラビやシンセを弾いてる。
・このドラムは完全に成田昭彦さんですね。
・ベースは琢磨仁さん。
・私が今いる所は輝夫さんが獣道を広げてくれたみたいなもの。
・空気感が素晴らしく今どき。

デヴィル・イン・ハー・ハート/ザ・ビートルズ

Old Devil Moon/Chet Baker

Black Magic Woman/Santana

いとしのエリーについて
ビクターの401でレコーディングしている時に。夜中。エェリーィっていう所で村上ポンタさんが入ってきた。ブースの中に。ちょっといいかな、ちょっと止めて。もうちょっとさ、あのあんていうのかなソウルなんだよねこの曲。だから、エェーリィーーっていう、おぉっていう感情をさ。まぁソウルなんだよね。これ桑田お前ださないの?やれると思うな。じゃあねなんて。あれと思って。それでとったのがアレ。ポンタさんのお陰でできた。

Twist&Shout/竹野屋セントラルヒーティング

1980年。今から35年前。佐藤が担当していた番組アミューズメントクラブにおいて、竹内まりや、山下達郎、世良公則、ダディ竹千代、桑田というスーパーバンド竹野屋セントラルヒーティングをお披露目した。

・なんか夜中にみんなで集まった。オレなんか声ガラガラで。
・それで達郎さんはまだまりやちゃんと結婚する前。オレはドラムやるっていって。うまいんです達郎さんは。んで自分のドラムを一生懸命トントントンギーギーとチューニングやって、それをみんなで待ってね。なんかでも普段しょっちゅう逢わない仲間なんだけど、輝夫さんがやっている番組だからみんな集まったわけ。それでなんか3,4曲やれっていわれて、じゃあ知っている所で、恋のバカンスとかさ、ツイスト&シャウトとか。おれツイスト&シャウトなんか歌詞でたらめで歌っていますからね。ちゃんと歌っているのは達郎さんとまりやちゃんだけ。でもね世良のベースとかすごい上手いの。さっき聴いたら。うん。もちろんまりやちゃんはピアノも弾いてるし達郎さんのドラムは上手いんですけど、あたしが弾いているギターはデタラメですね。あんまり聴きたくないんですけど。

いやぁあのね。楽しかったよ。チャペルスタジオみたいな教会を改造したね。テルさんね。そこでやった。シャーロームスタジオだ。もう。すごいとこで夜中、夜を徹してやってました。輝夫さんもすごい音楽マニアですけど、それともう戦うように達郎さんがこのマイクじゃダメだとか、達郎さんだって若いですよまだあの頃。20代ですよ。それをずっと待っている僕たち。えぇ。そういうね、でも楽しかった。

悪魔とモリー/Mitch Ryder&The Detroit Wheels

悪魔を憐れむ歌/ザ・ローリング・ストーンズ

佐藤輝夫さんがいていただいたお陰で私は今日こうしてしゃべっていることもできますしね、それからそのバンド仲間もやっぱ輝夫さんが巡りあわせてくれたというかね、そういう方が多い。斎藤まこっちゃんなんかだって、みんな輝夫さんの周りに集まってくるというね。そういう優秀なミュージシャンが多い。お人柄なんです。その輝夫さん。1982年4月から桑田さんがパーソナリティをつとめたニッポン放送ミスター・ポップスに佐藤さんが構成を担当。そして同年。佐藤輝夫さんが小林克也さんと結成したナンバーワンバンドに桑田が六本木のベンちゃんを提供した。こういうのもありがたい。ちょっとやってくんない?っていうから、あーいんですかぁって感じでね。ちょちょちょって作って。まぁ一生懸命やるんですけど。そういう曲が意外とねぇこう、強いというかね。忘れられないセッションだったり、曲が出来上がるんですけどね。

1988年3月。シャララカンパニー設立。
1990年4月NHKFM桑田佳祐ミュージックスクエアにて佐藤が構成を担当。
1995年4月TOKYOFM桑田佳祐やさしい夜遊びにて佐藤輝夫がディレクターを担当。だれもがこんなに長く続くとは思わなかったのが昨年7月1000回を達成。今年4月には番組20周年を迎えた。

うわさのカム・トゥ・ハワイ/小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド

5月30日ラジオ

葡萄の中間報告

近況
・LOVE PSYCHEDELICOのライブに行った。

ミス・ブランニュー・デイ

あのー、まぁ全然こう、あれですけど、くだらない話ですけどあの、CDとね、ライブとは音の厚みとかね、その曲のテンポとか、そのアレンジも多少だったり大分だったりね、違ってくるんですよねぇ。うーん。だからね、これはその、たとえば前後に何の曲を置くかとかによってね、あのたとえば音量をそれぞれの楽器の音量をあげたりとかね、歪ませたりとかね。えぇまぁ我々レコーディングしている時のものとは大分ちがうその手応えを変化としてね、感じて、その曲がさ、同じ葡萄の曲でもやっぱライブやってるうちにどんどん化けて、化けてしまった、うーん、しまう場合がねぇ、ちがうもんねぇ。

ボディ・スペシャルなんて今なんか煽りの曲でさ。なってるけどさ、なってるってやってないよ(笑)いけね。仮に、やるとしたら。あれだってCDって割とこうコンパクトな音像でさ、ジンジンジンってやってるんだけど、ドラムなんかもドンパッドンパってやってるんだけど、いまドロロンパァアァッとかって、結構そのいわゆるそのPAの人にね、すこしそのリバーブとかちょっと音をこう、パンじゃなくてバァンとかって歪ませてもらったりとか強くしてもらったりとか色々こう音色、それぞれの楽器をね、あの強くしたり広げたりとかしてるものがありますからね。

まぁほんとにこう昔の曲と時代の違う曲と合わせてセットリストにこう入れていくと、色々またこれが、どんどんどんこう化けていってね、うーん。ボディ・スペシャルも違うし、希望の轍なんかもね、あれだもんね、随分テンポ違うもんね。いつからあーなっちゃったのかねぇ。煽りの曲なっちゃったもん。

あれはね、稲村ジェーンを作っている時にねぇ、あのー希望の轍あれ、ドラムあれ、あれ打ち込みなんですけど、あのほとんどブラシみたいなドラムでしたね、パサッっていうドラムでした。

イヤな事だらけの世の中で

サザンでね、あの一曲目なにやってるかいいませんけど、実はYOUって曲あるじゃないですか。これをね、ダブルスタンバイしてたんですね。えぇそれでリハーサルはしてたんです。1曲目として。えぇ。一日目と二日目はダブルスタンバイだから変えてでていこうと思うんだけど、うーん、やっぱりやめといてよかった。うーん、よかったというかやっぱりあのうん、まぁ悩んだという話なんですけどね。

マンピーのG☆SPOT

あのまぁ原坊が今回葡萄の中で、あのワイングラスに消えた恋っていう歌をうたっているんですけどね、あのなんかほら昭和、昭和ってよくいうんだけど、特に昭和歌謡っていい方するじゃないですか、で、僕はそれに反対でね。あの日本人の才能のその、なんだろ音楽性のその、なんていうの当たり時期っていうのがあったと思うのかつて。色んなものがこう元禄のようにこう、元禄文化のように花咲いた、日本の歌謡界、JPOPでもなんでもいいんだけど、それが、そういう時期があってね。今なんかそれがなくなっちゃった時期だなっていうのがね、そういうさ、あったりなかったりする時期が繰り返すんでしょうけどね、なかなかいい曲が生まれないでしょいま。でね、なんかねぇ、その今ずれちゃってんだよ、それはしょうがない。それはまたサイクルはまた巡ってくるんでしょうけどね。うーん。だからやってる事が日本人に合ってないんじゃないかなっていう時期もそれは今みたいにあるさと思っているんだけど。

生歌
孤独の旅路/ニール・ヤング